UMUI(ウムイ)とは、沖縄の方言で「想い」を意味する言葉です。
本連載「私のUMUI”想い”を届けたい」では、沖縄で観光業を手掛けるベンチャー、株式会社UMUIに入社したメンバーをご紹介。それぞれが大切にしているUMUIをお届けしていきます。
今回お話を伺ったのは、株式会社UMUIが手がける沖縄のお土産屋さん「MIYAGEYA」(那覇市/国際通り)の店長を務める刑部さんです。
| インタビュイー:刑部 結(Osakabe yui) 愛知県名古屋市生まれ。愛知大学卒。大学4年生の卒業研究で沖縄戦をテーマにしたフィールドワークを行い、沖縄の人や地域の温かさに惹かれて移住を決意。渡名喜島で地域おこし協力隊として活動し、観光協会の立ち上げに従事。事務局長として組織運営の土台づくりを経験したのち、人と関わる仕事を求めてUMUIに入社。現在はMIYAGEYAの店長を務める。 |
「やりたい仕事」よりも、「心地よく暮らせる場所」から考えた
ーまずは、これまでのご経験について教えてください。
出身は愛知県の名古屋市です。大学までは愛知県で過ごして、その後、一度地元で就職しました。
ただ、その会社に長くいるイメージがあまり持てなくて、1年以内に転職しようと決めていました。次の仕事を探そうとしたときに、「これがやりたい」という仕事が明確にあったわけではなかったんです。
それなら、仕事の内容から考えるよりも、好きな地域を先に決めて、そこで働く方法を考えようと思いました。人生の中で、働く時間はとても長いですよね。だからこそ、自分が心地よく暮らせる場所で働くことを大切にしたいと思ったんです。
そのときに浮かんだのが、沖縄でした。

ー「心地よく暮らせる場所」として、なぜ沖縄が浮かんだのでしょうか?
大学4年生のとき、ちょうど姉が沖縄(那覇)に住んでいたこともあり、姉の家を拠点に約1カ月フィールドワークをしました。研究テーマは戦争で、地元・愛知県の戦争体験者と沖縄の戦争体験者の方々にお話を聞く内容でした。語り部として活動されている方や、戦争を体験された方のお宅やカフェなどを訪ねて、直接お話を伺いました。
それまで沖縄には観光で何度か来たことがありましたが、正直、特別に「沖縄が好き」という感情があったわけではありませんでした。海や観光地というイメージが強く、生活する場所として見たことはあまりなかったんです。
でも、フィールドワークで地元の方々と深く関わる中で、沖縄の人との距離感に惹かれていきました。
たとえば、バス停で時刻表通りに来ないバスに困っていると、近くにいた地元の方に声をかけてみる。ひとつ聞いただけなのに、たくさん教えてくれる。取材に行った先でも、学生の私をあたたかく受け入れてくださり、「ご飯食べていきなさい」と声をかけてくださる方もいました。
愛知にいた頃は、知らない人同士が自然に会話することはあまり多くありませんでした。自分自身も、そういう空気に慣れていたと思います。だからこそ、沖縄で感じた人と人との近さが、とても新鮮でした。
観光で見る沖縄ではなく、ここに暮らしている人たちの空気感や、人間らしい距離感が、自分には合っていると感じたんです。

渡名喜島(となきじま)で、「地域おこし協力隊」から「観光協会」の立ち上げへ

ー「心地よく暮らせる場所」として、なぜ沖縄が浮かんだのでしょうか?
沖縄で仕事を探していたときに、地域おこし協力隊※1の募集を見つけました。赴任したのは、沖縄本島と久米島の間にある渡名喜島(となきじま)です。沖縄県内でも知らない方がいるくらいの小さな島で、那覇からフェリーで行く場所です。
最初は地域おこし協力隊として活動していました。私の場合は役場の所属でしたが、活動の途中で地域の人たちと共に観光協会※2の設立準備を進めることになりました。2年目くらいから観光協会の設立準備を始め、3年目に観光協会を立ち上げました。協力隊としての任期が終わった後は、そのまま観光協会に所属し、事務局長として働きました。1 地域おこし協力隊:都市部の人が地方に移住し、地域の活性化のために働く国の制度。自治体から委受け、給与や報酬は雇用・委託形態に応じて自治体や受け入れ先から支払われる。任期は最長3年。
※1 地域おこし協力隊:都市部の人が地方に移住し、地域の活性化のために働く国の制度。任期は最長3年。
※2 観光協会:地域の観光振興を目的に作られた団体。観光情報の発信や体験ツアーの企画・販売などを行う。役場と一体の場合もあれば、独立した法人として運営される場合もある。
ー事務局長として、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
ひと言でいうと、ほぼ全部です。組織を存続させるために必要な手続きや運営、雇用まわりのこと、事業づくりなど、本当に幅広く担当していました。
私自身がガイドをすることもありましたし、観光協会の体験商品のひとつとしてガイドを販売することもありました。その後、観光協会ではレンタサイクル事業も始まり、今ではメイン事業のひとつになりつつあります。
私が関わった観光協会は、役場とは完全に別団体として立ち上げた組織だったので、すべてゼロから整えていきました。

ー観光協会をゼロから立ち上げる中で、一番大変だったことは何ですか?
実務的な大変さももちろんありました。法人化するためには、定款(ていかん)や就業規則を作ったり、理事会や会員、給与の基準をどうするか考えたり、準備する資料もたくさんあります。給与水準の参考になるような情報はインターネット上にはほとんど公開されていないので、他の観光協会に直接「参考に見せてもらえませんか」とお願いして回ったこともありました。
ただ、それ以上に大切だったのは、地元の方々との合意形成です。一方的に進めるのではなく、島の人たちの意見を丁寧に聞きながら、地域が本当に必要としているかどうかを確認し、「地域が必要としている。じゃあ立ち上げよう」という結論を地域と共に導いていく。
何度も話し合いを重ねて、土台を固めていく必要がありました。設立まで、結局1年以上かかりました。
小さな島だからこそ、「みんなで決めた」という過程がとても大切なんです。そこを丁寧に進めないと、後から良くない方向に進んでしまうこともあると思いました。
その経験は、今の仕事にもつながっていると感じます。既にあるルールに従うだけではなく、「なぜそのルールが必要なのか」「本当にこの形でいいのか」を考えながら、自分たちで組み立てていく。自分には、そういう働き方の方が合っているのかもしれません。
ーその経験を通じて、ご自身の中で変わったことや、得るものはありましたか?
人と関わることです。もともとは、人と話すのが得意だと思っていませんでした。知らない人と気軽に話すことも、自分から積極的にするタイプではないと思っていたんです。
でも、大学時代のフィールドワークをきっかけに、人と関わることの面白さを少しずつ感じるようになりました。渡名喜島では、人との関わりがないと何も進みません。地域に何が必要なのかを知るためにも、まずは関係づくりが必要でした。
休みの日に地域清掃や行事に参加するかどうか。そういう日々の関わり方で、地域の人との距離感は変わっていきます。参加するかしないかで、地域の方との関係性も大きく変わってくるんです。
島の方々と話していると、地域への不満や、「本当はこうした方がいい」という声も出てきます。逆に、外から来た自分たちが「これはすごい」と思うことを、島の人たちは当たり前だと思っていることもあります。話すことで、その地域の状況が見えてくる。そこに大きな気づきがありました。

ー離島だからこそ印象に残っている出来事はありますか?
渡名喜島で過ごした時間は、自分にとって大人になってからの青春だったような気がします。
たとえば、仕事終わりに大人同士で集まって、学校の体育館を借りてバドミントンをすることがありました。週に2回くらい、みんなで集まって体を動かすんです。那覇や地元にいたら、自分から運動することはなかったと思います。でも島では、家も近いし、みんな知り合いだから、気軽に集まれる。
仕事が終わった後に誰かの家で飲むこともありました。お酒が強い人もいれば弱い人もいるけれど、それぞれのペースで同じ場を楽しむ。そういう距離感は、離島ならではだったと思います。
行事のときに、お供え物のお餅を作るのを手伝ったことも印象に残っています。移住してきた私たちにも親切にしてくれる方がいて、行事のたびにお家に呼んでくれました。島での暮らしは、地域との距離がとても近い。大変なこともありましたが、その近さが自分にとっては心地よかったです。

ー事前アンケートに「ウミガメ救出に出くわした」とありました。どんな出来事だったのでしょうか?
渡名喜島は、ウミガメが多い島なんです。ウミガメは産卵の時期になると浜に上がってきて、穴を掘って卵を産み、また海に戻っていきます。ただ、たまに戻れなくなってしまうウミガメがいるんです。穴から出られなくなったり、テトラポッドに引っかかってしまったり。ウミガメはとても重くて、人の力だけでは簡単に動かせません。
朝になって「まだ海に帰っていないウミガメがいる」と通報が入ると、役場の方や関係者が集まります。必要なときは、島で工事をしている業者さんにお願いして、重機でウミガメを持ち上げ、浜へ戻すこともありました。
島で暮らしていると、人だけでなく、自然や生き物との距離も近いんだと感じた出来事でした。

UMUIとの出会いと、入社を決めた面談での出来事
ーUMUIに入社したきっかけを教えてください。
観光協会での仕事を一区切りつけた後、一度実家のある愛知県に戻って、次に何をするかをすぐに決めず、1年ほど一息つこうと過ごしていました。
ただ、沖縄を離れるつもりはもともとなくて、「また戻るだろう」というのは最初からありました。沖縄の方が、自分の生活には合っていると思っていたので。
しばらくして沖縄(本島/那覇)に戻り、Webコンテンツ支援の仕事をフルリモートで試してみたのですが、自分はやっぱり人と関わらないとだめなんだと感じました。一人暮らしの家で、ずっと画面越しの会話だけが続く生活は、想像以上にこたえたんです。
接客を本格的にやったことはありませんでしたが、人と関わる仕事をしたい。できれば、これまで観光協会で培ってきた経験も活かせたらと思っていました。そんなときに、UMUIの求人を見つけました。
ーUMUIの求人を見て、最初はどんな印象を持ちましたか?
「少し変わったことをしている会社だな」という印象でした。沖縄観光のコミュニケーションや、お土産屋のあり方を変えようとしているように見えて、興味を持ったんです。
特に惹かれたのは、単にお土産を売るだけではなく、観光に関する相談もできる「観光コンシェルジュ」のようなお土産屋にしたいという考え方でした。社長の福山さんご自身が子どもの頃を沖縄で過ごした経験から、沖縄の観光のあり方を変えたいという想いで会社を立ち上げたと知り、その姿勢にも興味を持ちました。観光協会でやっていたことともつながりますし、沖縄旅行中に困っている人を観光情報で手助けできることは、自分がやりたいことにも近いと感じました。

ー面談はどんな雰囲気でしたか?
実は面談の前に、ちょっとしたハプニングがあったんです。日程調整のやり取りで社長が時間を勘違いしてしまって、約束の時間に現れなかったことがありました。正直、その瞬間は「ちょっと心配な会社かも」と思ってしまったんです。でも、念のため確認のメッセージを送ってみたら、すぐに「すみません、勘違いしていました」という丁寧な返信があって。そのやり取りで、警戒していた気持ちが少し和らぎました。もしあのときメッセージを送っていなかったら、そのまま縁がなかったかもしれません。
実際の面談は、「面接」というより「面談」と呼ばれていたのも納得で、決まった質問に淡々と答えるようなものではありませんでした。どんな会社にしていきたいのか、どんな組織をつくっていきたいのかといった話を、会話をしながらお互いの考え方を確認していくような時間で、判定されている感覚はあまりなかったんです。
ただ、後から聞くと、社長の中ではその面談の段階でかなり気持ちが固まっていたみたいで。表面的にはおしゃべりをしているようでいて、実はちゃんと人を見極めている。そのバランス感覚が、UMUIらしいところなのかもしれません。
ー面談で印象に残っているやり取りはありますか?
風邪をひいた後に咳が長く続きやすい体質であることを、正直に伝えたときのことです。接客業として問題にならないかを率直に聞いたのですが、そのことを真剣に受け止めてくれました。もし接客以外でできる業務があるなら、状況に応じて調整することも考えられる。そう話してもらえたことで、「ここなら大丈夫かもしれない」と思えました。理屈が合っていて、かつ働く人のことを考えた柔軟な考え方をする方だということが、そのやり取りで伝わってきたんです。
印象に残っているのは、社長の「なるほど」という相づちです。ただの口癖のような「なるほど」ではなく、相手の話をきちんと聞いて、噛み砕いて、理解した上で返してくれている「なるほど」だと感じました。
私は、会話がちゃんと成り立つことをとても大事にしています。代表者がそれをできる人なら、自分にとって大きなストレスは少ないかもしれないと思いました。
ー最終的に入社を決めた理由を教えてください。
面談の中で、社長から直接言ってもらったのですが、観光協会を「ゼロから立ち上げた経験」が決め手だったようです。UMUIも、まだ何も決まっていない、混沌とした状態から会社をつくっていくフェーズです。だからこそ、指示を待つのではなく、自分から考えて動ける人を求めていたと聞きました。渡名喜島で土台づくりをしてきた経験が、こんな形でつながるとは思っていなかったです。
自分としての決め手は、代表とのすり合わせです。面談では、1人に90分近く時間をかけることもあると聞いて、それぐらい真剣に人を雇うこと、組織をつくることに向き合っていると感じました。ひとりひとりを大切にしようとしていることも伝わってきたんです。そういうやり取りが、入社を決める上で大きかったです。
MIYAGEYA店長として、店舗の土台をつくる
ー現在、MIYAGEYAでは店長として働かれていますね。仕事内容を教えてください。
店舗全体を見ながら、必要に応じて指示を出したり、スタッフが動きやすいように調整したりしています。店頭の様子を確認しながら、お客様が入ってきたタイミングや、店頭で声かけをするタイミング、レジに入る人のバランスなどを見ています。
MIYAGEYAには、多言語対応ができるスタッフと、日本語を中心に対応するスタッフがいます。インバウンドのお客様に対応できる人、レジに率先して入る人、店頭で声をかける人など、それぞれ役割があるので、偏りが出ないように配置を考えることが大切です。
普段は5〜6人ほどで店舗を回すことが多く、その中でお昼休憩や10分休憩も入ります。実際に店頭に立つ人数は限られるので、その時々の状況を見ながらスムーズに回るよう調整しています。そのほかにも、検品や補充、店舗まわりの細かな作業、スタッフから出てくる改善案や相談ごとの整理などもあります。
ー店舗運営では、副店長とどのように役割を分けていますか?
正直に、自分は数字を強く意識して動くタイプではないと社長に伝えたことがあります。それまで所属していた観光協会が非営利組織だったこともあり、売上を中心に物事を考える経験があまりなかったんです。
そこで、もともと販売経験が豊富で、数字への意識が強い副店長に売上面を中心に動いてもらい、自分はそれ以外のマネジメントの部分に力を入れる、という住み分けをしています。ひとりで何でも完璧にやろうとするのではなく、得意な人にお願いする。そのほうが店舗全体としてはうまく回ると思っています。

ー店長として、一番意識していることは何ですか?
特定のスタッフに偏らないことです。人間なので、話しやすい人や仲のいい人はどうしても出てくると思います。でも店長という立場で、誰かの不満にそのまま同調してしまうと、あまり良くないと思っています。
もちろん、スタッフの声はきちんと聞きたいです。ただ、自分の立場としては、特定の人に肩入れしすぎず、できるだけフラットでいたいと思っています。
正直、自分の言い方が上手くないと感じることもありますし、スタッフの中には不満や不安を持っている人もいると思います。だからこそ、副店長や総務、社長にも相談しながら、一つひとつ解決していくようにしています。できているかは分かりませんが、やろうとはしている。今はそんな感覚です。
ー店舗運営で大切にしていることはありますか?
スタッフの意見を封殺しないことです。これは社長がよく口にしていることでもあって、自分も意識しています。どんな意見でも、最初から拒絶するのではなく、まずは話を聞くようにしています。
たとえその意見がそのまま採用できないものだったとしても、最初から「それは違う」と言ってしまうと、そこで終わってしまいます。そういうことが続くと、意見を出す気力がなくなってしまうかもしれません。
MIYAGEYAはまだ1号店です。検品の方法、休みの申請、有給の管理、制服や身だしなみのルール、レジでのお金の受け渡し方、レジ袋の扱い方など、決めなければいけないことがたくさんあります。それを上から一方的に決めるのではなく、週に1回の勉強会などでスタッフ同士で意見交換をしながら、「なぜそのルールが必要なのか」を考えてつくっていく。大変ではありますが、自分たちで考えて会社をつくっている感覚があります。

ー店長として、今一番難しいと感じていることは何ですか?
売上を伸ばすために、現状の何が原因なのかを試行錯誤しながら一つひとつ可能性を潰していく必要があるのですが、そこをやり切れていないと感じています。
新しいタスクはどんどん出てくる一方で、日々の店舗運営も同時に回していかなければなりません。シーズンに向けて忙しさが増していく中で、それらを並行して進めていくバランスの取り方は、今の自分にとって一番の課題です。
お土産を売るだけではなく、旅行の時間を少し良くする場所に

ーお客様にとって、MIYAGEYAをどんな場所にしたいですか?
楽しい場所にしたいです。ただお土産を売って終わりではなく、お客様の旅行にプラスになる場所にしたいと思っています。
たとえば、「このお店はどこにありますか?」「おすすめのランチはありますか?」と聞かれることがあります。口頭で説明するだけでは難しいときは、直接近くまで案内することもあります。「国際通りから少し歩くと、こういう通りがありますよ」と観光場所を案内することもあります。
そのためには、私たち自身が周辺のお店や観光情報を知っておく必要があります。よく聞かれる商品について、休みの日に近くのお店へ行って確認することもあります。ランチのお店もスタッフ同士で開拓して、社内の連絡ツール(Slack)で共有しています。
お土産屋でありながら、観光の相談もできる場所。そういう店舗にしていきたいです。

ーこれから挑戦してみたいことはありますか?
個人的には、中国語を勉強しています。MIYAGEYAには台湾や中国、韓国など、海外からのお客様も多く来店されます。多言語対応ができるスタッフもいますが、いつも特定のスタッフに頼りっぱなしになってしまうことが気になっています。日本語だけでしか動けないことに、もどかしさを感じることもあります。
だから、まずは接客で使う決まったフレーズから覚えています。「少々お待ちください」など、店頭で実際に使う言葉を、多言語ができるスタッフに聞きながら勉強しています。教科書に載っている言葉ではなく、実際の接客で使う言葉を、その場で教えてもらえる環境があるのは大きいですね。最終的には、自分でも接客で会話できるくらいまで持っていきたいです。

ー毎日たくさんのお客様がお土産を選んでいく場所で働いていて、刑部さん自身の記憶に残っているお土産はありますか?
小学生の頃にお世話になった先生からもらった、青の洞窟のはがきです。先生が、家族でイタリアを旅行した際のお土産としてクラスに配ってくれたのが、青の洞窟のはがきでした。私はそのはがきで、青の洞窟という存在を知りました。沖縄に来てから、沖縄にも青の洞窟という名のダイビングスポットがあることを知り、「そういえばあの先生がくれたはがきも青の洞窟だったな」と思い出すことがありました。
その先生は、私にとってとても大きな存在でした。卒業後も手紙でやり取りをしていて、大学1年生くらいまで続いていました。
その後はしばらく連絡を取っていなかったのですが、最近になって、観光協会宛に先生から連絡が来たんです。渡名喜島に関する出版物に私の写真が載っていたのを見つけて、「もしかして、元教え子の刑部さんですか」と連絡をくださったんです。長い時間が空いていたのに、ちゃんと覚えていてくれていたんだなと、それがとても嬉しかったです。
お土産って、すごいですよね。誰かにとっては、毎日たくさん売れていく商品のひとつかもしれません。でも受け取った人にとっては、一生記憶に残る一枚になるかもしれない。今、土産屋で働いているからこそ、そのことを改めて感じています。

UMUIで働く面白さ
ーUMUIで働く面白さは、どんなところにあると思いますか?
今まさに、会社が成長していくフェーズにいることだと思います。すでに出来上がった会社では、自分の意見がなかなか通らないこともあると思います。でもUMUIは、これから拡大していく会社です。その中で、自分の力を会社に活かせるし、それを直に実感できる。そこは大きな魅力だと思います。
ひとり抜けるだけでも影響があるくらい、今は一人ひとりの存在が大きい会社です。だからこそ、ただ決められたことをやるのではなく、一緒に考えて、会社を良くしていこうと思える人が向いていると思います。自分のやりたいことや向かいたい方向があって、会社を通してそれを実現したい人には、面白い環境だと思います。
UMUIは、完全に沖縄的な会社でも、完全に内地の会社でもありません。東京で働いてきた代表がいて、システムや考え方には都会的な部分もあります。一方で、沖縄出身の人や沖縄を想う人たちも集まっています。自由で、まだまだ決まっていないことも多い会社です。だからこそ、一緒に考えながらつくっていける人にとっては、面白い場所だと思います。
刑部さんから見た、UMUIメンバー
ー前回の宮城さんの記事で、刑部さんについて「自分の考えがあり、芯のあるかっこいい女性」と話されていました。ご自身ではどう感じていますか?
「芯がある」と言われることはありますが、自分ではあまりよく分からないんです。みんな、それぞれ芯はあるんじゃないかなと思っていて。
ただ、自分は少し頭が硬いところはあると思います。感情だけで動くよりも、理屈で考えたいタイプです。やりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくない。自分の中では当たり前のことを言っている感覚ですが、周りから見ると、それが「芯がある」と見えるのかもしれません。
最近は、「誰に対してもフラット」と言われることもあります。特定の人に寄りすぎず、なるべく同じ距離感で接することは、店長としても意識している部分です。
ー何名か、次のメンバーの紹介をお願いできますか?
島袋さんは、社内のムードメーカーです。いるだけで場の雰囲気が明るくなる人だと思います。おちゃらけてくれる一方で、商品の賞味期限や、今確認した方がいいことなど、細かいところにもよく気づいてくれます。場を和ませるだけではなく、ちゃんと見るところは見てくれる人です。
神里さんは、社内のみんなが頼りにしている存在です。「神里さんに聞けば何とかしてくれる」と思っている人も多いと思います。社内の“神様”みたいな存在ですね。
次回は、そんなUMUIメンバーの想いも引き続き、お届けしていきます。

観光地としてではなく、生活する場所として沖縄に惹かれた刑部さん。
渡名喜島で地域と深く関わり、観光協会の土台づくりを経験し、今はMIYAGEYAの店長として店舗の土台をつくっています。
誰かの意見を封殺せず、必要なことを一つひとつ考え、ルールや仕組みを自分たちで組み立てていく。その姿勢には、刑部さんがこれまで沖縄で積み重ねてきた時間が、静かに息づいていました。
取材・編集・撮影:宮村有香
取材協力・画像提供:刑部 結/(一社)渡名喜村観光協会
